*只今里帰り帰国中* うちにいる神様たちのこと。

 
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わたしの実家には、90歳の祖父が同居しています。

人並みに認知症を患った、まあぶっちゃけてしまうと、“呆け”老人です。
でも骨密度は成人並みという、驚異的な身体を持ちます。好物は肉と脂っこい料理。ステーキ、トンカツ、天ぷらLOVE。特技は下らない冗談です。小さい頃の私は、彼の孫のなかでも一番のおじいちゃん子を自認し、同じB型でうるさく干渉してこない彼が大好きで、よくべたべたとひっついていました。油絵が趣味の彼に、絵を教わったり。一緒に美術館へ行ったり、そこらへんの山を散歩したり。小学校の自由研究を手伝ってもらって、結局全部作ってもらったり。

そんな私にとっては「大好きなおじいちゃん」でも、ボケてしまうと、それまでの関係とは、どうしても違ってきます。

なにしろ。
「さ、暗くなってきたし、そろそろ帰るかな。鉄道は通ってるんだろ?」というのを、5分おきくらいに言われるのです。最初は「おじいちゃんの家は北海道で、帰ってももう誰もいないんだよ、ここはおじいちゃんの息子の家で、今はここにみんなで一緒に住んでいるんだよ・・・」と、口を酸っぱく説得して、その時は「そうか、それならいいんだ」と納得したように見えても、また5分後には「さあて、そろそろ・・・」と始まるのです。とほほ。いくらおじいちゃんとはいえ、イライラもしてくるってもんです。

あ、それくらい、言わせてあげればいいじゃない。って、思いました?私もそう思うんですよ。でも、ついつい、訂正したくなるのです。そうじゃないよって。それでもって、その説得が全く甲斐無いと分かると、ものすごーくがっくりくるのですよ。

それだけじゃないのです。「帰りたい」発言から始まって、「オレの財布がない、金がない」発言、自分の息子をかつての部下だと思いこんだり、私が祖母の実家から養女にもらわれた・・・などなど、物忘れを超越した、記憶のねつ造の数々。トイレや下着を汚したり、水道の蛇口を出しっぱなしにしていることを注意しても、「オレはそんなことしない」と頑として認めない・・・。でもそれらは、ぜーんぶ認知症の典型的な症状なのです。夜に何度も目を覚ましては、「ここはオレの家じゃない」と出て行こうとしたり。徘徊老人っていうのは、その延長にあるのですね。家族は、「今までちゃんとしていたのに」と、躍起になって説得、説教する。おじいちゃんはその怒りが全く理解できず、不愉快になり、どんどん心を閉ざしていく・・・というのは、認知症が生み出す、ものすごくよくありがちな悪循環なのだそうです。(ちなみにそういうときは正しい事を説得するよりも、「自分たちもこの家も、あなたにとって安心な存在で、ここにいて大丈夫なのだ」ということを納得させてあげるほうが効果的なのだそうです。難しいのですけどね。)実際、認知症になると、性格が物凄く悪くなったように見える例も多いらしいですね。自分の金を家族の誰かが取ったと思いこんだり。幸い、うちのおじいちゃんは元々の性格がそれはそれは穏やかなので、「金がない、おかしいなー」くらいで済んでます。ボケる前から得意だった冗談も衰える気配がないし、人に嫌われたりすることは少ないです。多分比較的扱いやすい、可愛いおじいちゃんなのでしょう。それでも苦労は山積みです。一筋縄ではいきません。怒りたくないのに怒ってしまう方も、何故怒られているのか皆目見当のつかない方も、どちらも不幸です。年老いた親を見るというのは、ほんとうに大変な事なんだなあと、両親を見ていてつくづく思います。なんといっても、老人介護は一緒に住んでいる人が一番大変です。

今回の里帰り中に、祖父が慢性くも膜下出血で病院に運ばれました。身体だけは丈夫だと思いこんでいたので、家族親戚一同びっくりしました。意識を無くしてぐったりした祖父があんなに重たいことに、改めて気付きました。慢性くも膜下出血は急性と違い、徐々にじわじわと出血して脳を圧迫します。なので、周りも本人も気付くのが遅いのだそうです。でも簡単な手術で血を抜けば元通りになる、という医者の説明通り、手術が終わって様子を見に行くと、まるでメリーを触ろうと手を伸ばす赤ん坊のようにつるつるの顔で、点滴のチューブをぶらぶらと揺らしていました。そんな祖父に「おじいちゃん、私の事分かるかな?」と言うと、はて?という顔をした後、開口一番「分かるさ。あんたは、お姫様だ。オレは王様」と無邪気な顔で言った祖父の顔は、きっと一生忘れられないです。分かるか分からないかなんて、結局どうでもいいんだな。おじいちゃんが生きていて、歯がない空っぽの口を大きく開けて笑っていて、私はものすごくHappyな気分になったのでした。

お年寄りとこどもって、よく似ていると思うのです。卑近な例でいうとですね。うちの祖父もtamも、牛乳を飲む時、一度は口の中で「ぶくぶく」します。食べているとぼろぼろこぼすし、口にものを詰め込みすぎて、運悪く気管に入って「ぶわっ!!」と吐き出すし(これは被害大)。トイレもひとりで完璧には出来ないし、こっちの理屈は通じないし・・・。と考えているときに、ふと気付きました。そうか、認知症のお年寄りもこどもも、細かい事象や説明を叩き込む事よりも、キレイな色や、楽しくて嬉しい気持ち、美味しいご飯や特別なお菓子。そういうことが大事なんだ。tamやrieにとって、色んな事を吸収してぐんぐん大きくなるこの大切な時期に親が与えてあげられる事を、同じようにおじいちゃんとも共有できればいいんだな。それは、ときには簡単な事ではないけれど、出来るだけそういう風に過ごせるように、努力していこう。

いつだったか、ちょこまか動き回りわあわあ騒ぐ子供達をじいっと見つめて、祖父がいいました。

「赤ちゃんていうのは、神様みたいなもんなんだ。」

そうだね、おじいちゃんもね!だから、この世のつまらない理屈は超越しちゃっていいのかも。年齢差90歳弱の神様同士がそこで一緒になにをするでもなく(なにしろ、双方マイペースなので)、自然に隣同士で座ったり足にしがみついたり、膝の上に乗っている様というのは、最高に微笑ましいものがあります。そんな幸せな瞬間をくれた両親に感謝。わたしの今居る境遇にも、感謝。どこかにいるのかもしれない、神様に感謝、です。
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by koriom | 2005-12-20 23:25 | 独り言
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